播磨のトピックス
 
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  • 官兵衛の人となり
  • 官兵衛ゆかりの地

ルーツは近江の木之本

近江の木之本

福岡藩に仕えた儒学者・貝原益軒が編纂した『黒田家譜』などによれば、黒田家は佐々木源氏の末流で、近江の黒田村(現・滋賀県長浜市木之本町黒田)に住み、源宗清(宗満)のときに姓を黒田に変え、これが黒田家の始まりとされています。

山陽道の要衝・備前福岡へ

備前福岡

黒田家は五代高政の代になって、足利幕府内の勢力争いに巻き込まれ、木之本を離れて商業の町として賑わっていた備前・福岡(現・瀬戸内市長船町福岡)に移り住みます。

官兵衛の祖父・重隆が姫路へ

姫路城

備前・福岡で力を蓄えた黒田家は、高政の子重隆の代になって播磨に移り、勢力のあった御着城主の小寺氏に仕え、姫路城代を任されます。その後、黒田家は重隆から職隆、さらに官兵衛へと受け継がれ、官兵衛の活躍によって天下へと翔けていきます。

姫路から豊前、そして筑前へ

筑前

各地の戦陣で秀吉の軍師として活躍した官兵衛は、天正15年(1587)に九州征伐の論功行賞で豊前国の6郡を与えられ、黒田家は播磨から豊前・中津(現・大分県中津市)へ。さらに慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で戦功を挙げた官兵衛の嫡男長政に対し、徳川家康が筑前52万3千石を与えたことにより黒田家は筑前・福岡(現・福岡県福岡市)に移り、明治維新まで続くことになります。

ひめじ官兵衛プロジェクト公式ホームページ